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22日 10月 2016

善光寺の裏山(長野市)

川中島決戦の前哨戦 謙信・信玄が築城競争をした善光寺の裏山

▲頼朝山城から長野市街を望む


 第2の就職先を辞めて帰郷するまでの間、青春18切符の利用開始を待って、それまでに目を付けていた長野・愛知・滋賀・静岡に所在する城をまとめて見学することにしました。その最初の見学先が、謙信と信玄の両雄が競って築城競争をした善光寺裏山の城塞群でした。

 川中島の戦いは、今に語り継がれる合戦ですが、実際に激闘が繰り広げられたのは第4次川中島の戦いです。それ以前、両雄は善光寺平の領有を巡って、盆地を囲むように山上に陣地を作って腹の探り合いをしました。その前線の一つが善光寺の裏山、裾花川を挟んだ両側の山で、両者の城跡が同時に見られると言うことで、出かけたわけです。

 長野駅に着いた当日、まずは善光寺参拝をと歩いていると、その背後の山は善光寺を威圧するかのように聳えていました。高揚する気持ちのままに更に歩き続けると、ふと耳慣れない音楽を耳にしました。釣られるままにビルの角を曲がると、目の前に設けられた舞台ではベリーダンスの同好会らしき若い女性が群舞を繰り広げていました。先ほどの高揚した気分に煽られるように、いつの間にか足先はそちらに向いていました。これは善光寺参拝を遅らせてでも拝まなければと思うものの、被りつきで拝観するのも品がないので、望遠を使って撮影させて戴きました(この方が品がない??)。当然、そのショットは当コーナーと関係がないので、掲載しておりません。

 翌日、まず東西に流れる裾花川の南側にある信玄が作った旭山城に登ってから、裾花川を渡って謙信が作った葛山城に登ることにしました。旭山城に登って、両雄の和睦時に崩されたという石垣も確認しました。次に北側に下山して裾花川に通じる道を探すも、どうしても見つからず、旭山城の入山口に戻ってしまいました。手にしている地図には、間違いなく裾花川に向かう道が載っています。

 ここから市内に戻って大回りして葛山城に向かうとなると、当日の全行程が狂ってしまうので、再度藪の中に戻って道を探すと、案の定、道がありました。但し、ロープが張られていて、「道が崩壊しているため通行禁止」との看板がありました。ここは先ほど反対側から通過したところで、ロープが張ってあった上に、看板が裏向きだったので気付かなかったのです。看板の指示に従い、ここは自己責任で通れということだと素直に解釈して、ロープを潜って川を目指しました。

 しかし我田引水の解釈のつけはすぐにやって来て、たちまち道は崩落して消えており、仕方なく崖を降りては元に道に戻るということを繰り返して進みました。だいぶ進んだところで、断崖に造られたコンクリートの階段に辿り着きましたが、何本もの太い倒木が狭い階段を塞いでいました。しかも、階段は蜀の桟道のように崖に張り出した代物。ままよ崩れることはあるまいと腹を括って、リュックを手で押し出しては木を潜って前進を続けて、なんとか桟道を通過しました。

 これでほっとしたと思ったのも束の間、下山する道を何本もの倒木が塞いでいたので、大木を跨ぎ藪を漕いでの下りとなりました。何本目かの太い木を跨いだ時、突然太ももに激痛。急いで腿を見ると、黄色い腹の蜂が飛び上がった直後でした。報復も出来ないまま、先を急ぐしかありませんでした。この腫れは痛みと共に、数日続きました。因果応報もたまには、ままにならない時があるようです。暫く下山を続けると、次第に前方が明るくなり、漸く裾花川に辿り着きました。見上げると、川向うには切り立った崖。その上が謙信の築いた山城の筈です。これを登るのだと決意を新たにする前に、さすがに休憩を取りました。

 川を越えて登り始めたら、今度は生い茂った夏草のために道は消えて、たちまちロストポジション。仕方ないので、こういう時のセオリーに従って、斜面の直登に切り替えました。暫く急坂の藪漕ぎを続けて漸く城跡に通じる山道に出ました。まず向かったのは、旭山城に一番近い頼朝山の陣地。さきほどの旭山城からは、生い茂った木々のためにこちらは見えませんでしたが、そこから旭山城は指呼の間でした。このような距離で、両者は相手の姿を見ながら対峙したのです。

 それから少し後方に戻ってから上ったのが、謙信が在陣したと伝わる主城の葛山城です。ここからも旭山城は目の前に見えました。じっと睨みあったまま、両雄は牽制を続けた筈です。しかし、両軍とも兵農未分離の軍ですから、戦況が好転しないこともあって、対峙してから200日後、冬が訪れる前(旧暦 閏10月15日)に手打ちをして第2次川中島の戦いは終わりました。

 大軍を山上に貼り付けて滞陣することになったため、これらの城塞群はどちらも尾根を削平して多数の平地を作り、そこで寝泊まりさせています。恐らく、掘っ立て小屋程度のものだったと推定されますので、その痕跡は簡単になくなったようです。また目ぼしい防御遺構もなく、大軍を常駐させるためだけの城であったことを確認しました。

 予定では、この後、謙信が築いた山城を二つほど見るつもりでしたが、道を間違って長野市内に近い集落に下山したこともあって、再び山を登った上に大回りして引き返す気力と体力がなかったために断念しました。城跡といっても、今は公園になっており、削平地が残っているだけとの事前リサーチでしたので、当日の見学はイージーにもこれで終わりとしました。


▲裾花川を挟む両軍の城


▲長野市街から見上げる旭山城


▲頼朝山城から旭山城を望む


▲長野市街から見上げる旭山城

▲裾花川から頼朝山城を見上げる


tagPlaceholderカテゴリ: 大澤邦雄の中世城郭探訪

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